『けものフレンズ』11話  壮大でちっぽけな旅の終わり

 

 

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 けものフレンズ』11話までのネタバレをしています。

 

 いま『けものフレンズ』というアニメから目を離せないでいます。世間の一部では話題になっているようですが、なぜ流行っているのか、その理由は誰も分かっていないよう。私自身、なぜこんなにもこのアニメが心の奥にドシンと居座ったまま、離れてくれないのか非常に気になっています。「ヒトが滅びた後の世界」のヒトの象徴たるかばんちゃんと、「サーバルキャットの人間化」であるサーバルちゃん、二人の絆と旅の物語。そう思うと、昔から良くあるパターンの話と言えるかもしれません(『指輪物語』などのように)。

 この二人の関係性が素敵です。ネットを覗くと、二人のファン絵が多く見られますが、サーバルちゃんが「猫的」にかばんちゃんに甘えたり、抱きついたりと「いかにもな」構図が多いですが、公式アニメでは二人がそうして仲良くしたり、スキンシップをしたりなどの描写はほぼありません。どちらかというと、「ただ傍にいる」「同じものを見ている」という横並び的な二人のたたずまいが私は真っ先に思い浮かびます。そう二人はヒトとペットでは無く、対等な「友達」なのだから。そんな妙な距離感と、それでいて確かに二人の間にある結びつきの強さが、見ていて「心地よさ」を感じる理由なのかもしれません。そしてそれは、製作者が視聴者を「これぐらいの描写があれば関係性を読み取ってくれるはず」という信頼している証でもあるように思えて、見ているこちら側の背筋もピッと伸びるような気持ちになります。

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◆11話「決意と足跡」

 そんな二人の関係に焦点を電撃的な形で当てたのが11話でした。11話「せるりあん」ラストの衝撃が凄まじすぎて、多くのフレンズを苦しめているようです。私としても凶悪な中毒ドラマ『ブレイキング・バッド』のシーズン3のラストに比肩するダメージを食らってしまいました。

 ただ、この11話はそれ以上に重要なことが描かれていました。それは「かばんちゃんの旅の終わり」です。かばんちゃんはここまでずっと「何のために生まれ」「何をする生き物なのか」知るために旅をしてきました。例えばサーバルちゃんは図書館に行ったことがないのに、自分が「サーバルキャットのサーバル」であることを知っています。

かばんちゃんは何も知りません。「ナワバリは?」と聞かれても答えられません。「ナワバリが思い出せないなんて、大変ですね」と、ジェンツーペンギンのジェーンにも言われます。「ナワバリ」はジャパリパークの住人にとって、とても大切なものです。自分が何者か、ナワバリはどこなのか、人間の思春期の問いと、かばんちゃんの旅はどこか似ている気がします。ただ、このアニメはナレーションも、モノローグや心理描写も全くないので、かばんちゃん自身がそれをどう抱えてきたのか、それがはっきりと分かのはなんと11話までほとんどありません。そして、その問に対する思いがあまりにも深く、重くかばんちゃんの心をとらえていたという事実こそ、私が11話で衝撃を受けた本当の理由です。そして、11話のもう一つの衝撃がアライさんの存在でした。

 

◆アライさんが運んで来たもの

 二週遅れで常にかばんちゃんとサーバルちゃんを追いかけて来たアライさん、フェネックさんですが、この11話でついに追いつきます。(どうでもいいですが、この登場のシーンで二人の紹介文演出が初出だというのとてつもなくクールだと思いません?)。

物語上の役割で言えば、アライさんはパークガイドの帽子飾りの片方を持っていて、それが「四神」の在処を引き出す鍵なのですが、一方でかばんちゃん達の旅の「証人」でもあります。表面上、パークガイドの帽子の欠けた部分が戻り、かばんちゃんが暫定パークガイドとして認められたように見えるこのシーンですが、「旅の証人」であるアライさんがこれを渡すことによって、ジャパリパークに残して来たかばんちゃんの足跡が、いま立っている場所にしっかりと繋がっているように感じ取れます。

 ジャパリパークにかばんちゃんが刻んだ様々な思い出があるからこそ、アライさんの「かばんさんは偉大」という発言があったからこそ、その積み上げが(かばんちゃん自身の思いはどうあれ)「ぼくはお客さんじゃない」という言葉の重さにしっかりと繋がっているのです。11話分の思いと記憶。ここまで伏せておかれたかばんちゃんの内面に、そんな気持ちや願いがあったというという驚き。すべてが結実したシーンでした。太古の知恵を持つボスと、自分の足跡を知るものに見守られ、かばんちゃんは役割を与えられる前に、歩んできた道を見据えて自らの役割を決めました。それは誕生の物語であり、放浪の旅が終わりをつげ、かばんちゃんが英雄になった瞬間でもあります。けものフレンズは神なき時代にヒトがヒーローとして誕生する物語であったと、そう解釈することも可能です。

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◆僕のナワバリ

 かばんちゃんが何の動物か、フレンズか、何者か、もちろん物語のフックとしは機能しますし、何かしら回答は得られそうです。しかしながら、物語の根幹は、かばんちゃんがジャパリパークでどう受け入れられ、その自分をどう「引き受ける」かにあるとすれば、12話でかばんちゃんの正体がわかったところで、特に何も起こらないのでしょう。

 11話でかばんちゃんがサーバルちゃんを助けるためにやった木登り。単にサーバルちゃんに教わったことの伏線という以上に、ヒトもしくはヒトの象徴であるかばんちゃんも、ジャパリパークという外の世界から、自分でないナワバリから影響を受け、与えられていたという事を示しています。クールの前半は特にヒトの知恵を使い、人間化したフレンズの問題を解決するというパターンがあって(5話は特に顕著です)、「ヒトが与えた知恵によって、ジャパリパークに変化をもたらしているのでは……」という不安が、観る者の胸にあったわけです。

 しかし、8話の「ぺぱぷらいぶ」ではフレンズ達も自分たちの力で歩きだしているのを描いていました。思えばアルパカもカフェを始めたのは自分の意思です、ジャガーも泳げないフレンズのために仕事を始めました、ツチノコは過去を知るために遺跡を調べます。タイリクオオカミは他人を感動させる力を持ち、アミメキリンはそれを受け取って自分の役割を決めました。ジャパリパークはかばんちゃんと関係を持ちながら、それだけに影響されずに、たくましく回っていく生き物の営為の宝庫なのです。「ヒトが動物に知恵を与える」という単純な、一方通行なものではなく、かばんちゃんの中にも「ジャパリパークという世界」から与えられたものがあったのです。かばんちゃんが木登りをするとき、かばんちゃんの中にはサーバルちゃんがいます。役割を決めたかばんちゃんが選んだナワバリ、居場所こそ、その心の中の大切なものです。

サーバルちゃん…見るからにダメで、なんで生まれたかも分かんなかった僕を受け入れてくれて、ここまで見守ってくれて…  

 

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 小さな英雄は、きっと旅の終わりに自分のナワバリを見つけたのでしょう。

 

 

 さて、今日(3月28日)は最終回当日です。かばんちゃんとサーバルちゃんがどうなるか、私はどんな形でも受け入れる気持ちでいますが。やはり、やはり二人の笑顔でおわって欲しいと、そんな思いを抱えながら、放送を心待ちにしています。